暦に人生を捧げた不遇の天才和算家・関孝和
はじめに
今回から数学者の話をこのブログとyoutubeでしていこうとおもいます。理由は僕の好きな物が「数学,歴史,ラジオ」であってこれらを同時に満たすことが,youtubeで数学史について話すことだからです。
ただし,僕の発信する情報はネットや本を見て調べたものなので,信憑性はありません。あくまで多くの人に興味を持ってもらうことを意識しています。
youtubeの記事はこちらです↓
関孝和
いつ頃の人?何した人?
関孝和は江戸時代初期に生まれ,独学で数学を勉強し,幕府に暦(カレンダー)作りを命じられてからは,中国から伝わってきた天文学を徹底的に勉強し,日本流の暦の構築に貢献した人物です。その際,円周率を12桁まで正確に求めています。また,微分積分と似たような理論を作った人です。
江戸の暦の問題
江戸時代初期,暦が大きな問題を生んでいました。それは,実際の季節(冬至・夏至)とのズレです。現代でもカレンダーや季節を頼りに,仕事や生活をするように,当時の人たちにとって暦は重要な基準の一つでした。また,このズレが起きたせいで,各地で独自に暦を作ってしまい,大阪と江戸で暦が違うなんてことも起こっていました。つまり,この時代に統一的な暦を作成することが,国内安定と統一を考える江戸幕府にとっては重要事項であったのです。
関孝和 vs 渋川春海(はるみ・しゅんかい)
幕府から暦作成の依頼を受けたのが関孝和と渋川春海でした。田舎に生まれ独学で数学を勉強してきた関とは対照的に,渋川春海は江戸幕府の碁打ちの家に生まれ,幼い頃から教育の機会にも恵まれた「ええとこの子」です。この二人は暦作りについても対照的でした。
関は中国の文献を徹底的に勉強・研究し,基礎的理論から応用まで,暦作りに関する理論をすべてマスターすることから始めました。
一方,春海は観測データを集め,そのデータを中国の理論に当てはめていました。この作業もすごいらしいです。。。天地明察って本にもなってますね。
関の挫折
関がいよいよ暦作りの理論を習得したころ問題が起きます。それは渋川春海の暦が採用されたからです。自分の半生を捧げた暦作りがあと一歩のところで叶わなかった関はとても落ち込んだことでしょう。そして,その数年後亡くなりました。
関が残したもの
暦作りが叶わなかった関ですが,渋川が作った暦に誤りがあり,実は関が亡くなった数年後関が残していった理論を使って暦が作られました。
ここがすごい!
僕が思う関孝和のすごいとこを紹介します。
以前,円周率の求め方に関する記事を書きました。この時に,円に内接する正n角形のnをどんどん大きくしていくことで,円周率を求める方法を紹介しました。この考え方は数学をやっている人ならすぐに思いつく考え方で,関孝和も正〜角形まで計算しました。ただ,関がすごいのはここからで,,,角形をつかって,もっと正確な円周率を求めたのです。この方法は「エイトケンのΔ2乗加速法」と言われ,西洋で発見されたのは,関が使ってから約200年後です。凡人の発想を超えた関の飽くなき探究心がこのことから伝わってきます。
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